6月22日に出たジョナサンの最新アルバムのタイトルは『Not so Much to be Loved as to Love』。
90年代後半ぐらいから、私はジョナサンの出すアルバムは音を聴くというよりも彼の言葉を聞きたいが購入の動機となっている。 ジョナサンの近況を伝えた便りが届くと言う感じで。
今のジョナサンは、アメリカの起こしている戦争とか、環境問題とか、人権問題とかにかなり熱くなっている。
このCDを聴くと、ある程度確立した自分のステイタスを利用して、せめてジョナサン信奉者だけにでも、メッセージを伝えたいという気持ちが良くわかる。
死刑囚アブ・ジャマールの無罪を訴える曲は、そのテーマとい、オルガンといい、ロバート・ワイアットの「ビゴー」と良く似ている。
ロバート・ワイアットもいろんな国の言葉で民族音楽を歌っていた真の社会派。 ジョナサンがアイスクリームマンとか、火星人のうたとか歌ってた頃、まさかロバート・ワイアットにみたいになるとは思わなかった。
しかし私も年とともに、だんだん弱者への愛とか、自然への愛とか考えるようになってきた。 ジョナサンの影響とかじゃなく、自分の中での自然の変化。
もうこの先、企業に入ってがんがん働いて金をためて楽しいことをいっぱいして、っていうことは絶対考えないだろうって見通しがついたからかもしれない。
ジョナサンを聴いて、ますます自分の気持ちを確信する。

ここでジョナサンの最新の便りを少し訳します。
音としては、イタリア語で歌う4曲目が一番好き。 何を言ってるのかわらないけど懇願するようにこの曲を歌うジョナサンの顔が目に浮かんでドキドキする。


Not so Much to be Loved as to Love

僕はよく街を歩いていた
街中を歩いてた
路面電車の線路を横切り、貯水タンクの脇を通る
街中隅から隅まで
ぶらぶらと歩き回っていた
誰かの愛を待っていた

愛情を求めていたけど
間違った方向を見ていた
愛されることじゃなくって、必要なのは愛することだったんだ

僕はよく街を歩いていた
街中を歩いてた
路面電車の線路を横切り、貯水タンクの脇を通る
街中隅から隅まで
ぶらぶらと歩き回っていた
誰かの愛をずっとずっと待っていた

若い時は渇望してもいいのだけど
でも僕は気づくのにとっても時間がかかった
愛されることじゃなくって、必要なのは愛することだったんだ

Salvador Dali

14歳のとき
僕にはサルバドール・ダリがいた
あの頃はいつも悪い夢にうなされていた
でもダリは僕の夢の世界の案内人だった
夢の世界へ 夢の世界へ 夢の世界へ

裏と表が逆さまになる気分
地上に出ると同時に地下に潜る
脅かすような空
ダリは僕の夢の世界の案内人だった
夢の世界へ 夢の世界へ 夢の世界へ

僕は14歳で自信に満ちていた
ダリが僕に『フリーダム』と言った
あの頃はいつも悪い夢にうなされていた
でもダリが僕の夢の内側に入るのを
助けてくれた
夢の世界へ 夢の世界へ 夢の世界へ
Yeah

僕が14歳のとき
僕にはサルバドール・ダリがいた
僕が14歳のとき
ダリが僕に扉を開いてくれた
夢の世界へ 夢の世界へ 夢の世界へ

Abu Jamal

その声は死刑囚のものとは思えない
暴力を振るう人間の声には聞こえない
真犯人が自白したのも無視され
死刑を待つアブ・ジャマール

その言葉は威厳に満ちていて
説得力があり自身に満ちている
彼に着せられた罪は全くのナンセンス
アブ・ジャマールの誇り高い声を聞け

ネルソン・マンデラにスーザン・サランドン
ハリー・ベラフォンテと次々に立ち上がる
手紙でも電話でもいいから抗議しよう
死刑を待つアブ・ジャマールのために


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